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帰省 [家族]

本当は帰らなくては行けない状況の中、この夏、私は帰省しない事にした。

今年に入り一人帰省も含め、何度も帰っている事、そして息子が大学受験と言う事もあり、

「今回は止めてもいいんじゃないか?俺もゆっくりしたい・・・」と夫から言われた。

「どうしても必要なら、あざみだけで2、3日行ってくれば」とも・・・

父も心配。高齢になり介護をしてくれている継母も心配。兄に会いたい。

そして何より、母のお墓参り。お盆に家に連れて帰って来てあげなくては。

でも私は夫の言葉に安堵した。

何事にも煩わされない、休日が私も欲しい。

行かないからといって、状況が変わるわけではないけど・・・

消えてなくなるわけではないけど・・・

残りの人生をどう生きるか決断をした私、私達夫婦。

今暫く、いや今回だけは、少しゆっくりする事を許して貰いたい。






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誕生日 [家族]

ねぇお母さん 

これから私は どうしたらいいの?

なにをしたらいい?

これ以上、私に何が出来るの?


取り敢えず、今日は全てを忘れて・・・


お誕生日おめでとう。生んでくれてありがとう。





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命日 [家族]

今日は母の命日。

帰る事は出来なかったけれど、心の中で静かに手を合わす。


昨日の夜は電話のベルが、メールの着信音が鳴り止まなかった。

今日の命日の事で、また何か問題が起きている様である。

帰れない私が、いけないの? 帰って其処に居ても、何も変わらないよ・・・

いい加減にして欲しい。お墓参りに行くだけで、いったい何を揉めると言うの。

静かに供養する事が出来ないのだろうか・・・・・



母の54年の生涯は、どんなものだったのだろう。

幸せだった!?

私の覚えている母は、今の実家、父の故郷に引っ越して来てからの母。

とても他所から越して来た人間とは思えない程、その土地に溶け込み、地元の人以上に

親戚や近所の誰からも慕われた、明るい人だった。

PTAや地区の役員もこなし、忙しく毎日を過ごして居た様に思う。

お料理も上手、洋服でも小物でも何でも、子どもの希望する物は夜なべしてでも作ってくれた。

そんな家族の為に尽くしてくれる、優しく、時には恐ろしく厳しい(笑)専業主婦の鏡の様な母。


でも私が大人になって知った母は、亡くなってから知った母は・・・まるで別人だった。


自分で作った流行のスーツやワンピースを来て、トップモデル並みのスタイルで、

ハイヒールを履き、サングラスを掛け、銀座の街を歩いていた母。

真っ赤なオープンスポーツカーをこよなく愛していた母。


大きな力により、結婚を誓っていた彼と別れさせられ、父との結婚を強制された母。

一緒になれなかった人を想い続け、写真をずっと手元に置いていた母。

自分に意見する事を、絶対に許さなかった父に、何度か殴られた母。

やがて諦め、黙って妻として着いて行くことを選び過ごしていった母。

そして・・・

車で出かける父に、ついでに送って欲しいと頼んだが、

「送っていると遅くなるから、自分で行きなさいって言われちゃった。自転車で行ってくる。」

と言い、苦笑しながら姉と孫に手を振り出かけたまま事故に遭い、生涯を閉じた母。

「送ってたら遅くなる」って、5分も違わないところだったのに・・・


母の人生は、幸せなものだったのだろうか。

母は女として、妻として、幸せだったのだろうか。

母の亡くなった歳に、もうすぐ追い付きそうな私。






母を想うと、必ず聞きたくなる曲です[ぴかぴか(新しい)]





  前向きに生きたいけど、いつになったら抜け出せるのだろう。この長いトンネルから・・・

  毎回、愚痴ばかりのブログに御訪問くださり、ありがとうございます[たらーっ(汗)]





なるように・・・ [家族]

私達は今日、21回目の結婚記念日を迎えた。

数年同棲をしてからの結婚だった。

同棲中に父が再婚をし、それに当たっては色々な葛藤もあった。

いざ私の結婚となると、実母の兄弟姉妹の数人が、

「継母が出席するなら欠席する」 と、言い出した。

正直、「よしてよ大人気ない!私のお祝いなんだから、割り切れない!?」と思った私が居た。

主人と結婚でき幸せだったが、最後まで出席を拒んだ叔母、説得され出席した叔父を思うと、

決して晴れやかな思いだけの結婚式ではなかった。

21年経っても、結婚記念日の度に思い返される、負の思い出である。

その叔母は父の再婚以後、母の法事には一度も出席してくれていない。


以前にも書いたが、大人になり、やっと家や親戚のごたごたから抜け出し独立しても、

常に私の生活には、問題が、ごたごたが、付いてくる。


姉の離婚の原因も、嫁ぎ先の信仰であった。

それは姑達と同居するまで、わからない事だった。

生んだばかりの赤ん坊も、抱かせては貰えない程の異常さだった。

殆ど心が壊れた状態での、一瞬のすきを付いての脱出劇だった。

まだ学生だった私も、あの数ヶ月の事は今でも良く覚えている。

本当に家族全員で悩み、苦しみ、協力し、最適と思われる方法で解決したつもりである。

なのに又、実家は同じ問題で悩まされている。


私は私の選択で、新しく作った家族のはずなのに、それ以前と殆ど変らない暮らしをしている。

人生というものは、もともとこんな物なのだろうか・・・

それぞれ決められていた器の中の人との関わりで、暮らしていく決まりなのだろうか・・・


今日は私の結婚記念日。

これから先、どんな家族のドラマが待っているのだろう・・・


まずは風邪も治った様だし、父親のお見舞いに行く事にしよう。

昭和1桁、頑固を通り越し変わり者の父。人の意見は全く聞かず、口答えも許さず、

会話をすれば、「親に意見するな!指図をするな!」と怒鳴られた程の厳しい父。

感謝の言葉を口にするところなど見たことも無かった父が、「ありがとう」を言える様になった。

人の気持ち、痛みを汲み取れる様になった。

継母が居てくれた御蔭で、今の父の姿がある。幸せがある。

継母が居てくれる御蔭で、普段は自分の暮らしの心配だけをしていられる私が居る。

その事への感謝を継母に告げる為に、

そんな小さくなった父の、喜ぶ笑顔を見る為に、私の笑顔を見せにる為に、

母の御墓参りをする為に、

兄の喜ぶ笑顔を見る為に、

「何かあれば直ぐに駆けつけるから」と、姉を安心させてあげる為に、

タイムリミットが迫る、山の様な書類は横に置き、

ごたごたが待つ実家へ、故郷へ、とにかく帰る事にしよう。

きっと、なんとかなるのだろう。 今まで、そうして来た様に・・・

きっと、なるようになるだろう。 今までも、そうだった様に・・・ 





この歌声に癒されます[バー]




  いつも、ご訪問ありがとうございます[ぴかぴか(新しい)]



日常生活 [家族]

またトラブル・・・・・

なにか通常と違う事をしようとすると起こるトラブル

いや・・・訂正!! こんな事は前回も綴った様に『日常茶飯事』

これが私の、日常生活なのである。


会話の趣旨が何なのか、理解できていないから

会話の趣旨がどこにあるか、理解できていないから

いざ当日、いざ本番、いざ計画を実行に移そうとした途端に、「なんで!?」と言う事が起きる。

毎回、毎回、毎回、毎回、毎回である。

そして、どこに其の原因があるか認めない。

認めないどころか、私のせいになる。 逆切れされる。


今まで何回も、何年も、いや・・・何十年も繰り返されてきたこの生活。

心配で確認をする生活。まるで「信用できない!」と言うかの様に再確認し、

やっぱり違う事が多く、「違っているよ。」と教えると、たちまち不機嫌になる態度。

二度手間の生活に環をかけ、その不機嫌な態度と付き合う生活。

それが嫌で、確認をしない生活を送れば、当日や、その場になって、最悪の状況になる。

その話通り、予定通り、支度をして出かけると、相手は「何で? そんな約束した?」

と、言う事も度々。

私の知らないところで話が進んでいる事は、確認のしようも無く当日を迎え、そんな事態になる。

そんな生活の、経験も、何度もしてきている。

前もって確認しても、確認せずに信用しても、結果は同じ。

「俺は言っていない!」と言われるか、「俺のせいじゃない!!」と言われるかの違いだけである。

自分の非を認める事をしないので、直る事は無いし、私のせいにされるし、

「だったら、お前がやればいいだろ!!」と、怒鳴られるだけなのである。


でも今回は、楽しいイベントの企画。疑う事などしたくなかった。

そんな事など起こるなど、夢にも思って居なかった。

結婚記念日のお祝いに関わる事で、そんな事が起こるなど想像もしたくなかった。

今度こそは・・・ そして何よりも、こんな簡単な事は・・・ と疑う事をやめ、信頼して任せていたのに

やっぱり、ダメだった。

そしてやっぱり、「俺は〇〇と言っただけ!そんな事は言っていない!」と、いつもと同じ台詞。

そして、「だったら今度から自分で調べろよ!!」と捨て台詞・・・


そう!そうなのだろう!きっと本当に覚えていないのだろう!

彼は、直ぐに忘れてしまうから・・・

「何故」 私が其処へ行きたいと言ったのか!

そう!この会話の軸になるものが、何だったのか!? 本当に読み取れて居ないのだろう。

彼は、言葉でのコミュニケーションを苦手とするから・・・

そう!彼もまた息子同様、グレーゾーンを生きる大人だから・・・

そんな事は、もう当の昔から承知して、我が子とひっくるめて覚悟を決め生活して来ている。

でも、もう私は本当に、へとへとで有る。

疲れた。何も考えたくない。何もしたくない。何も出来ない・・・

ただ、穏やかな生活が送りたい。

願う事は、ただ、それだけ・・・





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